剱岳・立山縦走

剱岳山頂にて
 報告者   :  山口 博 
 山  名 剱岳・立山縦走  山行名 例会
 ルート

9/7室堂―劔沢―剣山莊

9/8剣山莊―前劔―劔岳山頂―剣山莊―劔沢―別山―内蔵助山荘

9/9内蔵助山荘―大汝山―雄山―一の越―室堂―扇沢

 山行日  平成23年9月7日〜9日  天候 晴れ、風雨
 参加者

リーダー:山口    サブリーダー:佐々木

男性: 7名  岡部 佐坂 中島 中廣 三宅         

女性: 5名  加藤 徳田 浜北 吉津 頼          

合計: 12名 
 コースタイム  9月7日
新田辺(5:50)ー八幡東IC(6:20)−立山IC(10:10)−室堂ターミナル(11:40/12:00)−剱沢(14:30)−剣山荘(16:00)

9月8日
剣山荘(4:00)−前剱(5:30)−剱岳山頂(7:30/8:00)−剣山荘(11:00/12:00)−別山(14:00)−内蔵助山荘(16:00)

9月9日
内蔵助山荘(4:00)−内蔵助山荘(再出発)(5:50)−雄山(8:10)−一の越(9:20)−扇沢(11:00)−薬師の湯(11:30/13:0)−新田辺(18:00)
  

今年は入梅が早くて梅雨明け後も天候不順で、夏山集中登山の白馬から栂海新道も4日間雨に祟られました。劔岳登山の為の金比羅山岩場トレーニングも現地で雨が降り出して岩場には登れませんでした。

本番が近かずくと毎日天気予報に一喜一憂、週間予報では3日間とも晴時々曇りでした。

出発前日の夜の7時半の予報で雨に変わり、中止を決断して、バスのドライバーや山小屋に取り消しの電話をして、参加者に連絡しました。皆さんは準備万端であり心苦しい選択でした。

延期して予想していた通り4名の方が参加出来なく成ったのは誠に残念でした。

9/7 550分新田辺を出発し大住が丘経由で松井が丘を910分定刻に出発し、順調に室堂バスターミナルには予定より1時間早く1140分に到着しました。

 立山をバックに記念撮影の後12時に登山開始しました。地獄谷の硫黄の中木道を通り劔沢までは下り、後は剣山莊までは一気の登で予定より2時間早く16時に到着しました。



剣山莊は新築されて綺麗でトイレの水洗には驚きました。平日で夏休みも終わり、登山者も少し少なくなり部屋も私達で1室でした。

9/8 4時に出発して東の空が赤く焼けてやがて一服劔に着きました。これから前劔までは一気の急登です。

歩き出して1時間半で前劔に到着しお弁当の朝食です。ここから少し下りいよいよ劔岳の本峰です。

カニのタテバイも危険な所は鎖が整備されていて安全で安心して登る事が出来ました。登山道も渋滞せずに730分に山頂に到着しました。

頂上は360度のパノラマで2,999mからの北アルプス連峰の展望を満喫しました。西方の雲の上からは白山の頂上が顔をだしで、北アルプスの後方に富士山も見えて素晴らしい天気に大満足でした。

下山中にKさんの頭に落石で心配しましたが、こぶが出来ましたが大事に至らずホッとしました。事故は下山中に起きやすく特に落石が怖いので足元の石を落とさない様に注意しながら下山しました。

剣山莊には11時に到着し、お湯を沸かせてゆっくりと昼食にしました。

劔沢まで下り別山には14時に到着しました。内蔵助山荘は予定の時間の16時に着きました。

内蔵助山荘は新築されて綺麗な小屋でした。夏休みも終わり平日で私達は2部屋に、夕食の6時まで昨日と違って劔岳登頂の達成感で、ビールと持参のお酒を飲んで歓談しました。

夜中の11時ごろに目を覚ますとゴーゴーと凄い音で暴風の様です。明日の天気が心配です。

9/9 予定通り4時に出発しました。強風の中を30分位歩きましたが、暗くて足元も不安定で強風に身体が飛ばされそうになり、このまま進むのは危険だと判断して小屋まで引き返しました。

小屋で朝食をして、相談して風が収まらなければ雷鳥平から室堂に降りることにしました。

1時間ほど休憩して550分に再出発しました。雨が降ってきて風が少し弱まって来たので予定通り大汝から雄山に向かいました。

稜線はきつい風でしたが大汝山には登らず無事に雄山には810分に着きました。

頂上には他に二人だけで下山中も登山者は数人だけでした。雨も小降りに成ってきて一の越には820分に着きました。

黒部ダムへの下山道の入り口に「東一の瀬方面の登山道は崩落の為通行出来ません」の案内がある。

止むを得ずバスとロープウエイを乗り継いで黒部ダムに降り、予定した1035分のトロリーバスに乗る事が出来て扇沢には11時に到着しました。

迎えのバスに乗車し薬師湯で入浴と食事をして新田辺に18時に帰着しました。

佐坂さんの発案で新田辺に直行し反省会、全員参加の反省会は個人山行を除いては例会では恐らく初めてだと思います。厳しい山行で連帯感が出来て最後まで一体で行動できたと思いました。

今回予期せぬ暴風にも遭遇しましたが、晴天の劔岳の山頂に立てた事や、風雨の中を大汝山から立山まで縦走も出来た事に大満足しました。

今回の山行については厳しい縦走ですので先ず天気を優先して実施する事にしていました。

予定した20日からの山行が出来なくなり、その後台風の影響で低気圧が張り出して天気が安定せず、何度も予定を変更して、台風一過の97日からヤット実施する事が出来ました。

山行中止の判断を前日の夜の7時半の天気予報を見て、ネットで現地の情報を確認して決めました。変更すると次に行けなくなる方が出て来るので中々中止が出来ませんでした。ぎりぎりまで何とか行けるのではと期待していましたが、天候が急に曇りから雨に変わり中止を決断しました。

もう少し早くせめて3日位前に中止の決定をすれば良かったと思い反省しています。

無事に縦走が出来ましたのはSLの佐々木さん初め皆さんのご協力のお蔭と感謝申し上げます。

有難う御座いました
 感想文
 憧れの剱岳に登って
濱北紀子
 

2006年夏山登山、剣沢から剱岳・早月尾根コース・立山から大日岳縦走コース・室堂から大日岳縦走コースの選択の時、剱岳に行きたく思っていましたが、岩場の登攀は少し怖く、不安であったので、大日岳縦走に参加させてもらいました。奥大日岳・大日岳の縦走路から見る剱岳の山容は実に豪快で男性らしく、黒々と鎧を着ているようでした。いつの日にか登りたいと憧れていました。

かんなびに剱岳が案内されました。ずいぶん迷いましたが、登った人々にいろいろ聞いてみました。『岩場はしっかりした鎖や、はしごがあり、山歩きの延長で、慎重かつ大胆に三点確保をして登れば、危険なことはない』といわれ、意を決して参加することにしました。 それから甘南備山に毎日のように1時間から.1時間30分くらい、トレーニングに励んで、97日、剱岳に向かいました。室堂から雷鳥沢を登り剣御前に到着、眼前に剱岳の威容な姿を見て感動しました。不安と挑戦の交差した気持ちを抑え、雪渓の道を下り剱山荘に到着しました。山々に囲まれた山荘は新しくとても快適でしたが、登山者の多いのには驚きました。

翌日9日、4時ライトを頼りに一服剱から前剱へと登り、さらに近づく剱岳の岩壁に威圧されました。険しい岩場を鎖に捕まり、三点確保でしっかり登降を繰り返し、又岩稜に登り、雪渓のある平蔵谷のコルに着きました。見上げるカニのタテバイは勇気を持って登りきり、憧れの山頂に着いたときは、とても幸せを感じるとともに「やった!・・・」と感動し、胸がいっぱいになりました。360度の展望を十分堪能しました。望まれる今まで登った山々を数えてみました。白馬三山、唐松岳、鹿島槍ケ岳から針の木岳までの峰々、燕岳、立山三山、浄土山から薬師ケ岳、奥大日岳から大日岳、遠くのシルエットでは北八ケ岳、富士山、北岳や南アルプスの山々、槍ケ岳・穂高岳、白山など25座近い名山がありました。

下りはカニのタテバイです。ここも「ゆっくり・慎重・笑顔」でしっかり鎖に捕まり、横歩きで垂直に近い岩壁を渡り、はしごをゆっくり下り、平蔵コルに無事着きました。あとは同じ道を、細心の注意をはらって下りました。前剱の急斜面の下りは落石が多く特に気を遣いました。剱山荘で昼を済ませ、別山に登り、剱岳を振り返ると、また違った光景に見え、険しい岩壁を登れてよかったと思いました。

内蔵助山荘には16時頃到着しました。

10日、やはり4時に出発しましたが、途中強風のため一旦山荘に引き返し、明るくなってから再び登り、立山三山を縦走し雄山に到着、一の越に下りました。19897月、町民夏山登山でやはり一の越から雄山・大汝・富士の折立から内蔵助山荘に来た時も、同じような強風の天候でした。

一の越から黒部湖へのコースは土砂崩壊とかで通行止めになっていました。室堂へ下りトロリーバスとロープウェイー・ケーブルカーで黒部ダムまで行きました。2000円の予算オーバーでしたが、危険な山道を回避して下さったリーダー・サブリーダー達に感謝をしています。

好天に恵まれ、憧れの剱岳に登れたことで大満足の山行でした。皆さん有難うございました
 剱岳〜立山縦走
 中廣正典
 

夏山「白馬〜日本海コース」に参加する事にしていたが、都合により断念せざるを得なくなった。そして今回「剣岳〜立山山行」に何とか参加する事が出来た。しかし山行確定までが少々難産だった。天候不順、更には台風の襲来で計画延期となり、その後リーダーが天気図とにらめっこし好天が予想される3日間を選んでの実施となった。その為平日の実施となり当初参加予定の数人は参加出来無くなってしまった。真に申し訳無い仕儀だがこればかりは仕方無いか。私達はリタイヤ後の特権をフルに生かした形だ。

7日早朝6時前新田辺駅前を出発。中型バスに12人、晴れ上がる天候とこれからの山行に期待膨らみ、車内は明るい声が一杯。とは云っても朝早かったのでウトウト、居眠りもあちこちで・・・。

11時、室堂に到着。予定より1時間早い。早速準備して青空の下、気分爽快に出発(12)

地獄谷に下り、赤、青、黄のテントで賑やかな雷鳥平を経てアップダウンを繰り返し、剣御前小屋に到着(pm2時半)

到着時ガスに覆われていた剣岳山頂も時折頭を出してくれた。その一瞬を狙いシャッターを押す。目指す山頂はまだまだ遥か彼方だ。岩で完全武装の山の詳細はここからは分からない。剣山荘までの道を、はっきり姿を現して来た剣岳全容、その岩の纏を「凄い凄い」と云いながら進んだ。明日を思い緊張も走る。今朝剣に登って来た人の話では、剣山頂はガスに覆われ展望はサッパリだったらしい。明日はどうかな? 天気予報ではこの3日間、申し分無かった筈なのだが・・・。剣山荘到着、pm4時。

建て直し新しくなった剣山荘はきれいのひと言、申し分無かった。が、何せ満員の盛況。10畳に12人は少々狭かったが、山小屋となればこれは致し方無い。食事も美味しかったし、何と云っても水洗トイレにはビックリした。山小屋に付きものの臭いにおいも一切無く快適だった。

8日、いよいよ剣岳山頂に立つ日だ。3時過ぎに起き出し、4時丁度に出発する。ヘッドランプの明かりを頼りに急坂を一歩一歩前進する。天気も良さそうだ。日の出は山の陰、雲に邪魔され残念ながら拝むことは出来なかった。5時半、前剣頂上に到着。剣山頂を見ながら朝食の弁当を食べる。冷えた弁当はやはり不味い。無理矢理口に押し込む。6時20分、鎖も現れ岩登りがスタートする。「平蔵の頭」、如何にも「岩登りは難しいぞ!」なんて感じの命名だ。6時55分、カニのたてばいに取り掛かる。確かに緊張はするが、不思議と怖さは感じない。掴むところに苦労する箇所には鉄棒が埋め込まれており、又鎖も新しく整備されていて、万全の注意をもってすれば大丈夫だ。それなりの年輪を重ねた我が女性陣も順調にクリアーして行った。7時10分、遠く雲の上に富士山を見た。やはり抜きん出た威容を誇っている。7時30分、遂に剣岳山頂に立つ。思いの外、広い。360度の展望に浸るより先にパチパチと先ずは記念撮影。改めて360度を眺める。一昨年の白馬岳〜五竜岳のコース、昨年の針ノ木岳〜鹿島槍ヶ岳のコースが眼前に広がる。我ながら良く歩いたものとひとり感心する。能登半島、富山湾、富山の街の一望も素晴らしい。何よりも記念すべき日が快晴に恵まれ、感謝、感謝だ!

30分もいただろうか、人が増えて来て下山にかかる。今度はカニのよこばい等登り以上の注意が必要だ。登る人、降りる人で段々と待ち時間が長くなって来る。そうした中ゆっくりと着実に下る事が出来た。

11時、剣山荘に戻り昼食。デザートやコーヒーを頂きながら目的達成の安堵の中、ゆったりと休憩する事が出来た。日差しの中での昼食だったが、さわやかな空気に暑さも余り苦にならなかった。12時、第一の目的を達しての高揚感に加え腹ごしらえが終わったところで、元気いっぱい別山を目指す。途中剣岳と剣山荘を振り返り振り返り・・・歩くことしばし、でした。14時半、別山山頂到着。ここには標識のある山頂より約300m北東に6m程高い実際の山頂がある(N氏に教えて貰う)。S、O両氏に誘われて疲れも忘れ、空荷で往復した。緩い下りの駆け足が何とも気持ち良かった。ちょっとの駆け足に身体をほぐす効果があるのか、この気持ち良さは新発見だった。この山頂からの剣岳と深い谷の眺めは、これ又素晴らしいものがあった。

我々3人の為に少々長くなった休憩の後、室堂を右手に見ながら一歩一歩・・・15時50分内蔵助山荘に到着。部屋に落ち着いたところで、早速ビールで全員揃って乾杯する。「うまい!」以外の言葉無し。

最後3日目、今日も当然快晴と思いきや、外に出るとガスと風。いずれ晴れて来るだろう(夜半には月も明るかった。昨夜の天気予報は午前中晴、午後曇り。)、と思ったがその内に雨も降り出した。4時10分カッパを身に着け出発する。

しかし・・・残念!15分歩いて真砂岳手前でCS両リーダーの判断により小屋に引き返す事になった。雨に加え風が強くなって吹き飛ばされる危険があるとの判断。周りは未だ暗闇、私でも恐怖を抱いたくらいだから、女性陣はと思いつつ歩を進めていた時点でのリーダーの判断でした。

小屋で様子を見ての間、朝食の弁当を食べ、コーヒーを頂いた。外も明るくなり風も少し弱くなった5時40分、再出発する。風が大分弱まり時々突風はあるものの、吹き飛ばされる恐れは無くなって来た。何よりも明るくなって、自分達の置かれた状況が分かるようになって来た事が大きい。

かくして尾根を一歩一歩真砂岳、大汝山と通過して7時15分、雄山に到着。展望が素晴らしいと云う見晴らしは当然ゼロ。雨風の中、私を含め数名が雄山神社に参拝する。参拝者と云うことで神主よりお祓いを受け、お神酒をチョッピリ、味わっただけであったが・・・雄山登山の記念となった。

いよいよ最後の行程に入り下るのみ。しかし最後に又、予想外の事があった。本件は山行報告にあると思うがチョッピリ残念。天候も悪く左程悔しくも無いが、全行程完遂と行かなかったのは何とも心残りだ。しかし私以上にCS両リーダーのお二人にとっては残念だった事でしょう。

どうしても行きたかった山のひとつ剣岳に今回快晴の下登る事が出来、又妻に先を越されていた雄山にも行け、申し分無しの記念誌の一頁を飾る山行となりました。万歳、万歳・・・です!CS両リーダー始め同行して戴いた皆さん、楽しい素晴らしい山行を本当に有難う御座いました。

新田辺到着後全員揃っての打上げ、これも又楽しかったですね。提案戴いたSさん、有難う!

最後にひとつ。「山の天候、ゆめゆめ油断召さるな!」を改めて肝に銘じる事にします。
 岩稜と雪の殿堂、剱岳
 佐々木英夫
 

悠久の 時を刻める岩稜の 天を切り裂く 釼の()()に   ひでを

「剱岳に行きませんか」と山口さんに誘われた。百名山登頂の時は2006年8月の登頂で、(徳田康二さん達と11)頂上からかなり険しいシシの頭をトラバースし、エボシ岩を越え長い長い早月尾根を下った。今回は剱山荘から剱岳往復なので、難所のカニのタテバイを登り、ヨコバイを下ることになる。あの高度感のある岩壁にはたまらない魅力がある。再びあの緊張感のある岩稜の道を行くのだと思えば、心が躍る。

2011年9月、室堂から別山尾根・剣御前を巻き剣山荘に着く。前に来た時は、雪崩で破壊されて小屋はなく岩塊の中に無残な基礎が残っていたが、綺麗な山荘が建てられていた。天候がよく剱岳を中心にぐるっと周囲を取り囲む名峰・連山が素晴らしい。特に2年前、針の木岳〜鹿島槍ケ岳を縦走した後立山連峰の一つ一つの嶺が懐かしく愛しい。

9月8日朝4時、参加者12名が剣山荘を発つ。すぐに鎖場が現れる。ランプの光を頼りにごつごつした岩塊を一服剱(2618m)まで登る。武蔵のコルに下り、今度は前剱の急登をのぼる。先を行く数多いヘッドランプの光が蛍火のように、見上げるほどの急斜面をジクザグに飛翔しているようで美しい。大岩付近で東の黒々とした山端が少し赤色染められ始めた。前剱(2813m)のピークで夜明けた。剱岳が威圧的に、さらに大きく鋭い岩峰を屹立させている。朝食をとりながら、すっかり明けた天空に聳える剱の氷食尖峰は、東に深い黒部渓谷から競りあがる源次郎尾根、さらに長次郎谷をへて八ツ峰の頑強な岩稜に、また西の早月尾根、北は剱尾根、大窓、小窓の尾根等の四方から派生した支脈に支えられて高みを競っている。激しい隆起と侵食に削られた剱の地質は、飛騨変成期の花崗閃緑岩や、花崗片痲岩などが基盤で、非常に硬く垂直に近い節理をもっていて、その岩稜は鋭い。いくら眺めていても飽きぬ盟主と云えるだろう。再び慎重に鎖場を下る。門といわれる場所を過ぎ稜線まで登り、左に東大谷の切りたった絶壁を望み、スラブ状の岩場を鎖を頼りに下り、テラス状の岩場を経て平蔵のコルに立つ。平蔵谷の雪渓がまぶしい。常夏にも消えることのない雪は氷河期の贈り物であろう。

立山にふり置ける雪の常夏に ()ずてわたるは神ながらとぞ (大伴家持) 万葉集 第174004

この歌は立山連峰を総称して(たちやま)と言われていた昔に、歌人の大伴家持が詠んだ歌であるが、時代を経て立山と剱岳が分化されていったが、鋭い太刀の山(たちのやま)は、剱岳を詠んだでものではなかろうか。谷文晃の百名山図は、右から立山・別山・剱岳と描かれ、剱岳は針の山に描かれている。

平蔵谷側を下って行くと,登りルートのカニのタテバイ直下に着く。通常、岩登りの一番の基本的な技術は足場と手懸りであるが、長年山登りをしている人たちにとっては、難所の岩壁をも、しっかりとした鎖や、堅牢なボルトを頼りに、三点確保の基本にそって行動し、全員難なく登りきり、さらに岩場を登り剱岳(2999m)頂上に到達する。大小の岩塊の山頂は銅板屋根の社殿が建っている。感激の人々は、いくつもの危険で困難な難関の岩場を越えてきて頂上に立てたことを好天と共に喜んでいる。参加前、多少岩場の難所を困難、危険であると不安に駆られていて尻込みをしていた人たちも、この登頂ですっきりしたことだろう。ぐるっと360度目のパノラマは南の立山連峰から、薬師岳、黒部五郎岳を経て笠ケ岳、遠くかすんで白山、東に白馬岳から、鹿島槍、針の木岳と南に下がって連なる後立山、特徴のある燕岳や餓鬼岳、北に毛勝三山と名だたる名峰が競って聳えている。かすかに富士山や、槍ケ岳も見える。山頂狭しと次から次へと登山者が登ってくる。

立山曼陀羅に針の山として描かれ「人間登るべからず」と頑なに拒み続けてきた剱岳が人間を受け入れたのは、明治40年陸軍参謀本部の測量官柴崎芳太郎らが宇治長次郎らを案内に登頂、前人未踏と云われた登頂した山頂にはすでに平安時代の錫杖頭や鉄剣があったことは、「剱岳 点の記」で御承知の通りで、誰が何の目的でどこから登ってきたのか、それは謎のままである。柴崎たちが設置した4等三角点は、2004年8月剱岳測量100年を記念して3等三角点に格上げされ埋設された。そして標高も2999mと測定された。十分な至福の時を過ごし下山する。早月尾根の指標を見て、カニノタテバイの分岐からカニノヨコバイのルートは小さなルンゼを越え岩棚(バンド)に取りつく。ここもしっかりしとた鎖が確保してくれるので安心して横歩きし、落石に注意しながら、岩場を少し降り、鉄製の梯子を下ると平蔵のコルで、非難小屋(WC)が建っている。緊張感が非難小屋(WC)一気に解き放たれる。源次郎尾根を登攀するクライマー達が数組見える。剱岳は近代アルピニズムの発祥の地でもある。時間かけてゆっくり鎖場を慎重に行動し、前剱からの下りは特に落石に注意しながら剣山荘に戻った。4時出発し11時に到着した。昼食をとり、剱沢を登り別山乗越の分岐から直登ルートを選択、別山に立つ。頂上の祠には帝釈天を祀っている。硯ケ池は涸れていた。真砂岳のなだらかな灰白色の平地から岩を折って立てたような富士の折立(2999m)、最高峰の大汝山(3015m)、神の顕つ山、雄山(3003m)の立山三山が山崎カールから岩ふすまのように波濤を連ねて競りあがっている。ここから望む剱岳は、鉄の鎧を纏って豪快に鎮座しているようにのぞまれる。室堂平の広大なカルデラが幾重に襞を造って広がっている。立山は造山運動で形成されたが、後に続けて火山が噴出し、氷河が侵食し今の姿になった。地獄谷はいまだ活動中である。赤い屋根の内蔵助山荘はすぐ近くに見える。山荘に到着し内蔵助カールの雪渓を見た。万年氷河の名残であろうか。折立の鋭い岩峰をとり残して、複雑な山容を構成している。

4時に出発した。真砂岳の稜線にでると、猛烈な風雨が地を這って一気に舞いあがってくる。ライトの光が足元に届かない。しばらくトレースを確認しながら進むが更に強まる突風に、これ以上、五里霧中のなかをがむしゃらに行くことは非常に危険、山口リーダが山荘に戻ることを判断する。再び富士の折立の岩場を登り始めたのは、もうすっかり夜が明けて周囲の状況が十分把握できる頃だった。風雨は相変わらず岩稜を揺るがすごとく吹きあがっていた。富士の折立から、次の頂点大汝休憩所に着く。展望なし。『頂きは霧立つ巖ぞ大汝』 (水原秋桜子) の句がすざましい。頂上をパスし休む間もなく雄山へ向かう。白霧の中に雄山の岩壁が現われ、そこを巻くように登ると神殿に到着する。休息中、峯本社に参拝し神殿でお祓いをする人もいて、雨風を社務所で避けた。雨が小ぶりになり一の越に下る。

黒部湖に降るルートはと探したらトイレの横にあった。土砂崩壊のため、東一の越、雷殿の登山道は通行止めとある。リーダーに報告し、黒部湖への降ることは諦める事にして、ここから室堂に下り文明の力を利用し黒部湖まで行くことにした。

第一の目的である剱岳には最高の恵まれた条件で、全員無事で登頂、下山したのだから、すべてこれでよしと満足した。またひとつ皆さんの山歴に誇らしく、素晴らしい記録が残されたここと思います。

参加の皆さん大変お疲れさまでした。
写真提供:山口さん